小学生でも中学生でも、
答え合わせをしていて、
やたら△を欲しがる人がいるが…
総じて自分に甘い。
○ではない解答をつくり、
点数を欲しがっているようでは、
完璧な解答を突き詰めている人には遠く及ばない。
最近このことについて、
塾生にもっとうるさく言っていかなアカンと感じている。
授業をしていて、
△を求めてくる子に、
「△でいいでしょう。」
と言った瞬間にその子の思考が止まるのがわかる。
「よし!」という心でのガッツポーズが見え、
まるで○をもらったかのような安堵の表情を浮かべるのだ。
△ということは不完全な状態だというのに。だ。
思考が止まったその子は、その後にこちらが説明をする完璧な〇がつく解答を、自分事として聞いていない。
そういう子にとって、
△は×ではない。
△≒〇
つまり、もはや〇と言ってもいい。という解釈になっているのであろう。
そして、この自分に甘い考え方のままではこの子は伸びないな。
と感じてしまう。
各中学の成績上位層にいる人たちは、
本当に自分に厳しい。
そういう人たちの答え合わせが終わったワークをチェックすると〇×の2種類しかない。
テストなどで学校の先生が付けてくれる△は存在するが、
自分の判断で△を付けることは、ほぼない。
彼ら、彼女らにとって、
△=×なのだ。
私たちから見て、
「この記述なら○でいいよ。」
と言える表現でも×にして、模範解答の理想の表現をしっかりものにしてテストに臨んでいる。
日々の学習で、惜しい解答にも潔く×を付けれる人の方がテストでしっかりと点を取ってくる。
では、
この生徒たちがいつから自分に厳しい採点をしていたか?
私の今までの指導経験上、
小学生の頃から、
惜しい解答にも潔く×を付けることができていた。
中学になって成績上位層でしのぎを削っている人たちから、
小学生の頃に「これ△でもいい?」と言われた記憶がほとんどない。
そういった意味でも、
中学準備にあたる小学5,6年の段階で、
自分の正解ではない解答に△を欲しがっているようでは、
中学での成績に黄色信号が出ていると言える。
稀に×がつくのを極端に嫌う子もいるが、
塾で教えている立場で言わせてもらうと、
テストではない普段の勉強においては、
〇よりも×に価値がある。
あっさり解ける問題なんてどうでもいい。
×になる問題こそが、自分が向き合う問題であり、
成績UPの材料になる問題なんだ。
悠学舎は小5からの塾。
○よりも×がつく問題の方が、
自分にとって価値がある問題だということは、
小5にもなれば繰り返し話せば理解できる内容だと思っている。
塾生は心に刻んで欲しい。
テスト以外の場面で、
△を良しとしてはいけない。
学校の先生や私たち講師が△でいいよ。
と言っても、
「△ってことはダメな部分があるってことだから、きちんと理解し直そう。正しく覚えなおそう。」
そう解釈しないとダメ。
それぐらい日頃から自分に厳しく勉強しないと、
中学で成績上位になんて夢のまた夢だ。
普段から自分に厳しく採点して、
テスト本番に確実な〇をもらうか。
普段から自分に甘々で採点して、
テスト本番で×や△をもらうか。
どっちがいいかなんて、聞くまでもないだろう。
いいかい。
普段の勉強において、△なんて欲しがるな。
△は×と同じ。
〇以外は全部×。
それでいい。
その×の分だけ成長できるということ。
解けない自分もちゃんと受け入れて、
歯を食いしばって頑張れ。