こんばんは
塾長の一井です。
今日のブログは勉強とは直接関係のない雑談です。
思ったことを漫然と書いています。
先日ショッピングモールで、幼児の頭を叩いて、怒鳴りつけていた親を見かけました。
声のボリュームが大きかったので、やたらと目立っていまして、
心穏やかな休日を過ごしていた私は、とても嫌な気分になりました。
子供が言うことを聞かなかったのでしょうけれど、
子供が可哀想だと思うのと同時に、親も可哀想な人だなと思いました。
イライラしていたのか、深い理由があるのかは知りませんが、
幼児相手に大声を出して威圧したり、暴力を振るうことでしか、伝える術を知らないってことでしょ。
可哀想な人だな、と。
そもそも怒られている理由を子供にきちんと説明してあげないと、威圧したり叩いたりしたところで本質(なぜそれをしてはいけないのか?)が伝わらないので、子供はまた繰り返してしまうと思います。
それこそ子供が可哀想。
叩かれて痛かった。
怒鳴られて怖かった。
そのようなことだけを記憶に刻み込んでも意味がないと思うんですよね。
そんな様子を見かけた後に、
幼児の自己表現について思い出しました。
幼児が自分を表現する一つの手段として、
物を投げたり、たたいたりする行為があるとは思うのですが、
あの『物を投げる』『たたく』といった行動は、
自分の気持ちを表す言葉が見つからない時に起きると言われています。
悪意のない暴力行為であり、幼児の表現手法の一つです。
嫌なこと・伝えたいことがあって、
今この胸にモヤモヤとした感情があるのに、適した言葉に変換できない。
だから、言葉の代わりに、物を投げたり、叩いたりすることで自分を表現する。
幼児がそのような行動に出た場合は、一旦落ち着かせて気持ちを聞き出して「次からは物を投げるんじゃなくて、こうやって伝えようね。」と教育していくと思うんです。
少しずつ自分の感情を言葉で表現できるようになると、乱暴な行為が減っていく。
そのため、幼児期は言語での表現力を育てていくのが重要とも言われています。
大人になっても、
大声を出して威圧したり、暴力を振るう人って、表現手法が幼児と同じなんですよね。
なんだかなぁ。
自分が親にそうやって教育されたからやっているのか。
でも、親にしてもらって嬉しかったことは子供にしてあげたらいいと思いますが、嫌だったことをしますかね。親に叩かれて嬉しかった人なんていないでしょうし…。
私自身、そういう面倒臭いタイプの人と関わってしまい、ガミガミと小言を言われた経験もあるのですが、
「この人の話、威圧的なだけで何が言いたいのかイマイチわからんのよなー。(抽象的で中身がないねん。)」
と思いながら、叱られている間も内心冷めたままで聞き流していた記憶があります。
威圧的じゃなければ「具体的には〇〇のことでしょうか?」と相談の方向に持っていけるのですが、圧がすごいと、とりあえず謝ってこの場を切り抜けよう、と思いますよね。
結局、その人の言いたいことって私に伝わっていなかったな。
当時は、そんなに威嚇するように怒る必要ある?この人とは馬が合わないな。なんて思っていましたが、今振り返ってみると、
威圧的な態度で怒っていた人は、
自分の感情や伝えたい内容を伝えるだけの表現力がなかったのかな?
もしかして、
自己表現が下手な可哀想な人だったのか?
なんて思います。
まぁ、そうだったとしても私はそういう人とはなるべく関わりたくないですが。
何の話やねん。
という内容のブログですね。笑
他人に何かを伝えるためには言葉が必要。
人は他者との繋がりなしには生きていけないので、塾生たちには豊かな語彙と表現力を持った大人になってほしいな。と思います。
別に国語ができる人が偉い!とかじゃなくて、
自分の思いや気持ちを正確に表現できる程度には、語彙や表現力がある人になろうねって意味です。
塾の講師が子供たちに与える影響なんて微々たるものかもしれませんが、私と関わった生徒たちには、間違っても、威圧や暴力でしか気持ちを伝えられない幼稚な大人にはなってほしくないな。
なんて思う今日この頃です。
では、本日はこのへんで(‘ω’)ノ
体調不良が増えているので、早寝早起きをしてしっかり3食ご飯を食べましょう!
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